準社員として約3ヶ月の試用期間を過ごし、結局不採用となった前回の職場から離職票が届いた。
ちなみに退職理由は「自己都合」、まあそんなところだろう。自分に営業マンとしての適性が見出せなかったという意味に取るのなら。
傍から見たら、クビになっただけですが。

ともかく、この離職票があればハローワークでの求職者登録ができる。面倒くさいと思いつつも、地元のハロワへ向かった。

ハロワの職員に離職票を渡して処理してもらう間、こちらも求職票に必要事項を記入して提出。
ふと見ると、俺の応対をしていた職員が同僚に何やら質問している。
50過ぎの、いかにもパソコンの苦手そうな人だったので、操作に手間取ってるのかなと思ってたら、

職員A「この人(俺)のデータが出てこないんだが何で?」
  B「移管(住所移転に伴う所轄ハロワの変更)を何回もしてるからデータの変更が間に合ってないのよ。私がデータ出しておくから…あれ、出てこない。おっそいわねぇ、まだー!?」
  A「今度はワシが…(やっぱり出てこない)」

どうも、最初に申請を出したハロワの所轄エリアを振り出しに2回も住所変更をしているため、メインコンピュータ内の俺に関する情報が追いついていない模様。結局10分近く待たされました。
確かにここ4ヶ月で2回も引越ししてますが、そこまでレアケースですか俺は。
それでも何とか手続きは終了し、今回一番聞きたかった事を聞いてみる。
「雇用保険の(再)給付手続ってどうやるんですか?」

求職票を提出した窓口の職員から、給付課に行くよう言われたので向かう。
離職票だの受給資格者証だのといった書類を渡し、手続き開始・・・

と思いきや。

職員C「ボブさん(もちろん本名で呼ばれてますが)、前のT社(前職)を3ヶ月で退職されて…雇用保険には加入してましたか?」
 俺「はい」
  C「でも期間が足らないので(※)受給のほうはちょっと…ん?」
俺が離職票と一緒に渡しておいた、資格者証を見る職員。
そこに記入されていたのは、「受給日数残24日」の文字。
職員はすぐに、手続きをしてくれた。

<※加入期間について>
雇用保険の給付を受けるには、6ヶ月以上の加入期間が必要になります。3ヶ月しかいなかった前職でも雇用保険への加入はしていたものの、今回の場合は期間が足りないので、前職の元社員として保険を受け取ることはできません。
ただ俺の場合、そのさらに前に勤めていた居酒屋の社員としての受給期間を24日残して仮就職となったため、申請をすることでその分の給付がもらえるというわけ。
<※ここで挙げたのは、あくまで俺の場合です。専門家ではないのでほかのケースの場合は分かりません>

そして待つこと30分。何度も電話をかけてデータ変更の催促をしてくれた職員さんのおかげで、無事申請は終了した。

帰り際、なんとなしに求人票を見てみた。
給料平均15万、応募職種はワンパターン、正社員募集の少なさ…自分がどんな田舎に帰ってきたのかを実感。
たまに高収入・ホワイトカラーっぽい求人があるかと思えば、ネットでも実社会でもロクな評判を聞かない某派遣会社だったり。
これじゃ田舎から出たくもなるわい。

そんな中、近くにあった職業訓練の実施予定表を手に取る。さすが田舎、講座の種類も数も少ない。よさげな講座はみんな締め切りが済んでいるか数ヶ月先で、とても待っていられない。
と思っていたら、1講座だけ、今の俺でも受けられそうな講座を発見。講座名からして、いかにもIT系。試験は適性検査と面接だという。
とりあえず、通ればラッキーくらいの感覚で応募してみることにした。

試験内容について、先ほどの職員さんに聞いてみたが、
「講座によって、検査の問題も面接で聞かれる内容も違う」
としか答えてもらえない。しゃあない、ぶっつけ本番だなこりゃ。

試用期間終了。

2004年10月29日
約90日の試用期間が終了。

結果。不採用。
正社員にはなれませんでした。


とりあえず、実家に帰ることにしました。
これで俺もパラサイトシングルの仲間入りです。

まあ地元の環境や雰囲気は気に入ってるし、一人っ子として将来的に親の面倒見なきゃいけない立場でもあるので、Uターン自体は悪くないけれど・・・

問題は、地元の求人が壊滅的なこと。
給料安い、仕事内容の幅狭い、ブラックどころか反社会的?と思われる企業がごろごろ求人出している状況で、果たして自分の納得できる職にありつけるのか?
今まで以上に先行き不透明な状態で、3度目の就活生活に突入です。
まだ23歳なのに(+_+)

週明けから少しずつ動き出そう。
10月04日付 ニュース 政治の報道「総務省、07年度めどにフリーターに住民税を課税へ (rd.nikkei.co.jp)」へのコメント:

住民税。いままで、社会に出てしまったら給料か何かから天引きされているものとばっかり思ってました。
強制徴収となると、人によっては生活レベルを落とさなきゃならなくらるんだろうなあ。俺も覚悟はしておこうっと。

今回の改正では、フリーターを多く抱える大都市ほど増収が見込める模様。
都会やそのベッドタウンは若者人口も多ければ、バイトの時給も高いから、街によってはかなりの額になるかと。
まあ町の規模に関わらず、増収分は住民である我々一般庶民に還元していただきたいものです。


ちなみに課税条件は「前年1月1日に給与支払を受けている」ことだそうで、これは

1月2日に職場に入り、12月31日付で辞めれば非課税

ということになります。
課税開始は3年後とのことなので、「住民税なんぞ絶対に払わない」などというポリシーのある人は、再来年まではバイトや契約・派遣社員を、上記の期間だけやってみてはいかがでしょうかw

スポーツセンター

2004年9月25日
近所の公営スポーツセンターに登録してきた。

初回は講習会を受けることが必須だというので、手続きを済ませる
(とはいえ実際は、30分足らずのオリエンテーションを受けるだけで終了)。

センター利用客の大半はおっちゃんおばちゃんで、若い人はほとんどいない印象。自分もそうだが、日頃の運動不足解消のために来ている人が多いのだろう。
…民間がやってる豪華なスポーツクラブだったら、大企業秘書室勤務のOLだの3ヶ国語ペラペラなキャリアお姉様だの、グラビアアイドルだのいるのかも知れないけど、私には遠い世界だから別にどうでもいいです。家から近けりゃいいのよ、それで。

設備は思ったよりも整っていて、ウエイトトレーニング機材もエアロバイクも落ち着いてできそう。
(実はランニングマシンを初めて使い、無駄にスピードや勾配の設定をハードにしてみました。いかにも「ジムで汗流してます」的な気分に浸って一人でニヤついてしまった・・・)

が、個人的に面白いと思ったのは、身長・体重、血圧、脈拍etcを入力することで、その日のトレーニングメニューを自動で組みたててくれる機械があること。自動的に紙に印刷されるので、持ち歩けるのも便利。

とはいえ、気になったこともいくつか。
一つは使用料(2時間400円)のこと。
入場前にテレホンカードのようなチケットを買い、それを入退場の際に専用の機械に通して支払うというシステム。料金自体は確かに安いとは思う。
ただできたら、「1時間・200円」カードも作って欲しい気はする。どうせ、2時間を1分でも過ぎたら追加料金で200円取るわけだし。

もう一つは、そのチケットを携帯しやすくして欲しいということ。
更衣室に手荷物用のロッカーがあり、もちろん鍵もかけられる。この鍵はそれぞれゴムのリストバンドについている(カプセルホテルでよく見掛けるやつ)が、これにチケット入れスペースがあるともっといいかな、とは思う。上にも書いたとおり、このチケットを2時間近く持ち歩くわけなので、全身どこにもポケットがない服を着てしまった場合なんかは結構面倒臭いかも。スキー場のリフト券入れみたいなやつでもあればいいんだけどなあ。

最終入場が8時半ということなので、会社から早く上がれたときは通う習慣をつけてもいいかな。
自分の性格からして、こうでもしないと運動なんてしないだろうし…何だかんだ言いつつも、時々お世話になりそうです。

帰りづらい状況

2004年9月22日
午後7時半。
今日の段階でできそうな作業が終了。
課長にも、「今日はもう帰っていいよ」とは一応言われた。
先ほどまで降っていた激しい通り雨も止み、帰るには丁度いいタイミング。

しかし、他の人はまるで帰る気配無し。
当の課長や他の先輩はおろか、普段は7時前には帰っているはずの社長や常務まで残っているのでどうしたものかと考える。

本当は今月20日付の伝票を締めきり、客先への請求書を印刷しておきたいところだけど…
某先輩がその伝票を異常にため込んでいるため今日段階では無理。
(このツケは27日以降にまとめて来ます)

そうこうしているうちに社長も今日分の仕事が終わったのか、他の上役の人たちのいるところに寄って来た。
そこで常務が麻雀セット一式をどこからか取り出す。

仕事しているようには見えないけれど、社長まで残っているときに試用期間中の下っ端が帰っていいものかと悩みました。

結局8時半ごろに帰りましたけどね。

9月20日の日記

2004年9月20日
久しぶりに運動でもしようか。

せっかくやるなら社会人らしく、トレーニング機材をガンガン使ってみたい。

そう思って、室内用シューズを買ってきた。

…小中学生が授業中にでも履いていそうな、激安の体育館シューズですが。
ちなみに純白なので、1回使っただけで真っ黒けになりそうな予感。

とにかくこれで準備はできたので、明々後日の休みにでも登録しに行こっと。
ちなみにおしゃれなジムじゃなく、公営のスポーツセンターを予定。
だってカネないし、近所のおっちゃんおばちゃんがウロウロしてるところのほうが気楽そうだし、ってことで。
昼過ぎ、買い物に出かけた。
電車やら地下鉄やらを乗り継いで着いた先は、駅近くのドンキホーテ。

今日は歯ブラシやボディソープといった消耗品や、Yシャツの替えを買うという目的があったので、買い物自体はさっさと終了。

さて、この店舗に限らず、ドンキの店の中は商品がごちゃごちゃして分かりにくい。わざと商品を分かりにくい場所や見辛いところに配置するなどして、客に「いろんな商品を発見させる楽しみ」を提供しているとかいうことだそうだが(うろ覚えです)、確かに特に目的もなく立ち寄ったときには、コンビニで立ち読みするよりもいい暇つぶしができる場所ではある。アイテム数も、店舗スペース一杯まで詰めこんでるだけにかなり多い部類だし…

というわけで、前述の生活用品やら何やらに混じって、いらんモノまで買ってしまいました。

<PUTT CHECKER>
(↑アマゾンにはつながってません)

これは長さ50cmほどの定規のような外見で、ゴルフのパット練習用器具。中央にはボールを置くための浅い溝がまっすぐについており、この溝のとおりに転がればパット成功、とのこと。

実際にやってみたら、これが案外上手く行かない。
皆さんご存知のように、パットというものは止まっている球をパターで転がすだけなのだが、どうしても溝からこぼれてしまう。クラブの角度や微妙な手のブレで、転がる(or飛ぶ)方向が全然違ってしまうだけに、それを制御するのが大変。
まあ、パットが上手くなるとスコアが格段に縮まるといろんな人に言われていることだし、たまには練習してみますか。

ちなみに目盛(45cm)もついていて、
説明書には
「オフィスなどでスケールとしても使えます」
などと書いてるけど、うちの事務所ではモノサシとしては邪魔です。


ていうか、うちで余ってるプラスチック製30cm定規に、彫刻刀でまっすぐ溝をつけられれば自作できたかもしれんなあ、これは。

練習場

2004年9月4日
終業後、課長&先輩2人と一緒にミニゴルフ場へ。
一度家に帰り、クラブ(PW、パター)を取りに帰ったあと、先輩の一人の車に乗っけてもらいました。

しかし出かけた時にはすでに小雨。時間経過と共に雨は激しくなるわ雷鳴り出すわ、挙句の果てにはゴルフ場の受付のお姉さんに、「天候不順で本日プレイできません」と(電話で)言われる始末。
結局、普通の練習場に行く事に。
さすがに220ヤード飛ばせる練習場でPWばっかり振るのも寂しいので、受付で7番アイアンを借りて練習。

・・・飛ばねェ。
右へ左へぶれるばっかりで、まともに前に飛ばない。

最後には、見かねた課長がマンツーマンで教えてくれました。
「頭動かすな」
「左腕曲げるな(右利きの場合)」
「左足浮かすな(同上)」
要点はこんな感じ。これを次回以降に活かせれば、ゆくゆくは
「ゴルフが得意です!!」
とか堂々と言えるようになるのかなあ。

まあ、先日はじめて行ったコースで18ホールで210叩いて会社創業以来の大記録作ってしまった俺には長い道程のようです。

P.S.
携帯無くしました。
先輩の車の中にあるとかだったらいいんだけどな。
月曜日に聞いてみよう。

やっちまった

2004年8月30日
始業直前、課長から1冊のテキストを渡された。

商品の基礎知識と理論、構成例をまとめた教科書で、ページ数170。

電話受けたりPCにデータ打ちこんだりといった事務仕事の合間にちまちま読んでいく。

そして昼食をとり、午後1時。課業開始。

電話も急ぎの仕事もないのを良いことに、ひたすら字面を追っていく。

ページをめくる、めくる、めく・・・

5時半を過ぎて、ようやくはっきりしてくる意識と視界。

目元がやや腫れぼったい気がするが、気分はスッキリ、あくびも出る気配がない。

…寝てたな、俺。
何故か誰もツッコミも叩き起こしもしなかったのだが、
(「自分、寝てました?」などとは怖くて聞けません)
それだけに気まずさと罪悪感は大きい。
そもそも勤務中に寝てる時点でいかがなものかと。

学生じゃないんだし、いつ切られてもおかしくない状況で眠れてしまう自分って一体…。

初給料と贈り物

2004年8月28日
木曜日の夜。残業中、職場の先輩に言われた。
「オマエ、初給料で親に花贈ろうとか考えてないの?」

聞けばその先輩は、初めての給料で母親に大きな花束をプレゼントしたそうな。普段貰い慣れてない分喜ぶと思うよ、とも言われたのだが、ウチの親に例えばバラの花などやっても、なあ。
(個人的には、親に贈るなら年齢と同じ本数の誕生花にしたいので)

だから今回は、何でもいいから「東京の食い物」を送ろうと決めた。

とはいえ、夜8時近い時間帯では店など開いていない。ネット通販のサイトも見てみたが、当然ながらクレジットカードの番号を入れなきゃいけないし。
その日は、この件に関してはなにもせずに帰宅した。

結局親へは、翌日の昼休みに行った郵便局のふるさと小包カタログから、雷おこしをチョイスして贈りました。
盆休みは会社の接待ゴルフコンペがあったので帰ってないし、せめてこれくらいはしといた方が良いのかな。
他社とは一線を画す内容で話題になった、例の教科書。
世間の話題に出るのは久しぶりな気がする。

まあ、歴史の一つの見方として提示するという使い方ならありじゃないかな、とは思います。
授業を聞いて、どんな意見・感想を持つのかは子どもたちの自由だし。
教員の側に、各種思想に引っ張られない思考力(あるいは、一個人の思想と、授業をする教員としての立場・発言を使い分ける程度の割り切り)があれば、叩き台としては良い教材なのかも。


まあ、この教科書が全国の学校に浸透するには、産経の社説が今の朝日並に高校や大学(特に国公立大)の入試に引用されまくらなきゃならないだろうけど。
頭の中がまとまらない。
けど、歩き出さなきゃいけない、明日からの仕事のために。
休日だからってただダラダラ寝ていても、気分がスッキリしないうちはホントに『休んだ』ことにはならない。

そう思って、ふと部屋を見まわしてみると。


取りこんだまま放ったらかしの洗濯物。

棚には、突っ込めるだけ突っ込んだ各種小物。

そして床は、硬軟入り混じった本や雑誌が数十冊。

こりゃあいくら寝ようが何しようがストレス解消、とはいかないか。


早い話が、散らかりすぎ。一時期ワイドショーによく出てきていたゴミ屋敷ほどではないものの、間違っても「キレイ」とは言われない状態。

「自分の部屋も片付けられない奴に仕事が片付けられるわけがない」

そう言って課長に怒られたのは何週間も前だった。あれから何一つ、変わっちゃいないのかもしれない。

だから、今更ながら部屋を片付けてみようと思った。

今の部屋が散らかってる要因は、上にも書いたように、
・服
・本(特に雑誌)
・小物
の3点。具体的には、洗濯物をクローゼット周辺にまとめることと雑誌の処分、小物の収納し直しといったところか。

で、個人的にはこれが1番の肝なのだが、

全部一気にはやらない

とりあえず、

  月:服
火・水:雑誌
木・金:小物

で片付けてみます。

え、今日?これから風呂入って寝ます。
明日仕事だしw

試用期間30日経過。

2004年8月20日
7月20日、新しい職場に通い始めた。

業界も、職種も、生活時間も何もかもが前職とは正反対の環境。

おまけに居住地も1000km以上変わってるし。


とはいえ今はまだ『準』社員、会社が定めた試用期間である90日の間に一定の水準まで仕事を覚えられなかったら再び無職に逆戻り…
そんな微妙な状況の中で感じたこと+αを書いてみようと思いました。
28日正午。
前日から本格的に始めた荷造りが全て終了。これまで使ってきた家財道具や本などの入ったダンボール箱が、引っ越し屋さんによって手際よくトラックに積み込まれていく。

やがて積みこみが全て終わり、業者は去った後に現れたのは、がらんとした部屋。
4年もの間、俺という1人の人間が住んでいたということを全く感じさせない、誰のものでもない空間。
いつのまにか付けてしまった床や壁の小さな傷だけが人のいた痕跡を残していて…それも数日後には綺麗に補修されるだろう。
そしてこの部屋は、次に越してくる誰かの色に染まる。
 
…不動産屋さんによる部屋のチェックを済ませ、鍵を返して外に出る。
最後に大家さんに挨拶をして、この町での生活の全ては終わった。

退去、完全終了。
この部屋に戻ってくることは、もう2度とない。
そして、俺は新たな世界へ…。

 


突然ですが。
本日をもって、今ご覧になっている『Diary "B-SIDE"』の更新を一旦終了致します。
新天地への引っ越しや仕事に慣れるまで、日記を書いてUPする余裕がなくなると思われますので…。

思えばこの日記、文体やスタンスがしょっちゅう変わってました。
あるときは就活レポート、またある時は身辺雑記と、この日記を初めから読んで下さった方がいたらさぞかし読みづらかっただろうかと(^^ゞ
一人称も途中から「僕」から「俺」に変えてるし、もう少し統一性を持たせればよかったかも。
そして、この日記をご覧になった全ての皆様へ。
ご愛顧、本当にありがとうございましたm(__)m

平成15年3月2日深夜
Diary "B-SIDE" 管理人・ボブ

引越し準備中!!

2003年2月27日
いつのまにかカウンターが6000越えててびっくりしているボブです、こんばんは。

次の引越し先も先日決まり、学校の卒業も決定。

しかし面倒な仕事は、まだ残っている。

実は、荷物作りをサボっていた為に、今は部屋の中が散らかりまくって修羅場状態。2月になってからというもの、同期の友達とは
「4年間で意外とモノが溜まっちゃって…」
という会話ばかりしているような気がするが、それはウチも同じこと。読まない本に聴かないCD、果ては冗談半分で実家から持ってきたファミコン&スーファミの本体とカセットetc、どういう風にダンボールに詰めればいいか思案中。
ってか、俺の私物って金にならないものばっかりなんで古本屋や中古ゲーム屋に持ってっても仕方ないし、中途半端に思い入れがあるので捨てるのもなんかイヤ。教科書もこの辺の古本屋は引きとってくれないし、どうしたもんかねえ、と。

なにより問題なのは、親がやって来る今日の昼前までに、足の踏み場もない部屋をそれなりに片付けておかなければならないこと…。
さーて、片付け片付けっと。
これはある男の身に実際に降りかかった、惨劇である。



2月9日、午前0時。

その男は友人たちと連れ立って、ボウリング場に来ていた。

この日既に2ゲームを消化していた友人たちは、次こそが本当の闘いだと息巻いている。

男も無論それに賛成し、第3ゲームが始まった。

 

男がゲームの続行に賛成したのには、2つの理由がある。

1つは、仲間たちと遊ぶこと自体を楽しんでいたということ。

そしてもう1つは、彼の2ゲーム目のスコアが低かったこと。

2ゲーム目で120台のスコアを出していた友人たちとは違い、男のスコアは86しかなかったのである。

基本的に負けず嫌いな性格である男にとって、この3ゲーム目は、プライドを賭けた大勝負だといってもよかった。

 
 
第1フレーム、1投目。

カッコーン!!

男の直前に投げていた友人は見事ストライクを決め、歓声を上げながらこちらへと戻ってくる。

男はそんな友人とハイタッチを交わし、クラスターの送風口から吹き出す風で手を乾かす。

1ゲーム目から使っている、紫色の14ポンド玉を手に取る。

雑布で丹念に玉を磨き、3本の指をそれぞれの穴に入れる。

そして。

ストライクを取れと煽る友人たちの声援を背に受けて。

自分もストライクを取るという闘志を胸に秘めて。

男はレーンの前に立つ。

玉を胸の前まで持ち上げる。

目を細めて、慎重に狙いを定める。

(ど真ん中に当てられれば…いける)

意を決して、振りかぶる。

玉が床に着くと同時に、男は手を離す。

ごろごろごろ。

玉はゆっくりと、だがしかし重い音を伴って転がっていく。

その軌道は、男が狙っていた通りの一直線。
(よし!)

やがて、玉は1番ピンに接触する。

ガコン!

玉は14ポンドの重みに任せて、全てのピンを薙ぎ倒す。

それを確認した男の右腕は、自然とガッツポーズを取っていた。

(この勝負、もらった!!)

 

第2フレーム、1投目。

同じレーンで投球する友人たちは、先ほどと同様にストライクやスペアを出している。。

男が彼らと対等なスコアを維持しつづけるには、やはりストライクを出すしかない。

その事実は、男のテンションと緊張を、否が応にも張り詰めさせる。

(さっきみたいにやれば、またストライクが取れる)

理想的な軌跡を描いた第1フレーム目を思い出しながら、男は座っていた椅子から立ち上がる。

験を担ぐかのように、先ほどと全く同じ行動を取る男。

クラスターの送風口から吹き出す風で手を乾かす。

14ポンド玉を手に取る。

雑布で丹念に玉を磨き、3本の指をそれぞれの穴に入れる。

男は再び、レーンの前に立つ。

玉を胸の前まで持ち上げる。

目を細めて、慎重に狙いを定める。

腕を振り上げ、投球動作を行なう男。

ごろごろ。

先ほどより、少しだけスピードが速い。

さらに、レーンの真中を過ぎた辺りで大きく左に逸れる。

ごとん。

玉は、男が最も恐れていたところへ―――

横の溝へと吸い込まれていった。

ガーター。

(マジかッ!?)

 

男は精神統一を図るつもりで、一度深く息を吸い込む。

何がまずかったのか、思い返してみる。

そういえば右手薬指には、先ほどの投球にはかからなかった力がかかっていた。

それが余計だったに違いない。

理由が分かれば、後は簡単だ。

左に行かなければいい。

 

第2フレーム、2投目。

(少し右に…少し右に…)

男は「右に」と強く念じながら、玉を投げる。

1投目の失敗を繰り返さないように。

(この1投に全てを賭ける!!)

使い慣れないスナップを効かせて、やや右に玉が行くように仕向ける。

その結果、玉は。

投げられた瞬間に、急激にレーンの右端へと消えていく。

間もなくして、男にとっては死刑宣告に等しい光景が展開した。

ごとん。

またも溝に落ちた玉は、10本も並んでいるピンの横を、10センチばかり低いところで転がっていく。

当然ながら、かすりもせずに消えていく紫色の玉。

ガーター2連発、確定。

 

これで完全に調子を崩した男は、続く第3フレーム、第4フレームの1投目までの3投が全てガーター。

清算時に受け取ったスコアシートは、このような状態であった。
_________________
|  1   |  2 |  3 |  4 |
|×|  |G|―|G|―|G| 9|
| 10   |  10 |  10 |  19|
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(×はストライク記号の代わりです)
 

この後、最後の最後にストライク取りはしたけども焼け石に水。総合的なスコアは75でした。
こんな経験をした人は、きっと他にもいると思う。てゆーか思いこみたい。

P.S.ちなみにクラスターというのは、投げ終わった玉が出てくるあの機械です。
 
 

掘り出し物?

2003年2月7日
ゼミの友達と、隣町の古本屋に行ってきました。
スーパーや服屋と同じ建物の隅っこでひっそりと営業しているこの店、面積も小さいので品揃えにはあまり期待してなかったのだが…
店に入って驚いた。

古本屋なのに、掃除機が置いてある。
キティちゃんのオーブントースター(実用可・外箱は全部英語表記)もある。

変なもん置いてるなあ、と思ってゲーム本体のコーナーに行くと。

なんと。

「バーチャルボーイ、3980円」

今どき、秋葉原とかならともかく、九州の田舎でそんなキワモノハードを見かけるとは思いもよらなかった。
買うか買わざるか迷った挙句…

買いませんでした。俺って凡人だなあ。でも、1ヶ月以内に引越しするって分かってるのに、そんなゴミを買う気にはなれないっす。

 

売ってる本のラインナップ自体は好みなんで、近々再出撃するかも…。
今日は経営学総論の試験があった。

何の因果か2年連続で落としているこの科目、今年こそはいい加減に取らなきゃならない。

ならないハズだったのだが…

OUTっぽい。

1月の日記

2003年1月1日
これ書いてるのは2月7日です…遅すぎ。

 

第1週:病は気から?

元旦、実家に帰省。地元行きの電車に乗ってる最中に高校時代の友達の1人から、
「風邪引いてるんで遊べそうにない(-_-;)」
とのメールが入る。

同じく高校時代の、別の友達もメールが入る。
「今風邪引いてますけどカラオケ行きませんか」

実家に帰ると、大きなマスクをした母親がお出迎え。
「私も風邪引いた」

周囲の人間みんなに風邪風邪言われて、健康体のこちらまで風邪引きそうになった。

地元では、それなりに友達と遊んで回る。ゲームしたりゲームしたりゲームしたり…。遊ぶとこがないので、勢いこうなってしまうのが田舎の辛いところ。
  
 

第2週:温泉最高
9日、ゼミ合宿で嬉野温泉へ。
で、実際にやったことといえば、

9日(1日目)
?晩飯
?カラオケ2時間
?風呂
?睡眠

10日(2日目)
?朝飯
?帰宅

終わってみれば、単なる新年会でしたとさ。

 

第3週:何か忘れてるような…?
学校のPC室に、分厚い資料の束と白書を持ちこんで、何故かYAHOOのブロキシ―に燃えてました。
ていうか、もう中毒。
頑張って40000点は超えるようにはなった。

図書館にこもって、日経流通新聞や教育学・社会学の専門書、果ては岡田斗司夫『オタク学講義』までをも読破。

家に帰れば、いつもはサボっている自炊をやってみたりする。週2度しか炊かないご飯を毎日炊いてみたり…。

要はあれですね、『テスト前に限って部屋の片付けをしたくなる症候群(仮)』というヤツ。
というわけで…

 

第4週:ツケは最後にやって来る
1月20日、午前5時。
俺は正直、焦っていた。
実は。

卒論の〆切、本日午後5時。
しかし卒論の完成度合いは、
本文:7割弱
表紙:未作成
要旨:未作成

…このままでは出せない。
慌てて自宅のノートPCを立ち上げて足りない部分を追加し、学校が開く午前9時からはPC室で作業。

必要以上の強さで叩かれ、無駄にでかい音を発するキーボード。

1度消えた文章が、別のところに再度現れたり、途中で分断されて切り張りされたりするディスプレイ。

文字の書かれたB5用紙を、惜しげもなく何十枚も吐き出すプリンター。

 

そして、午後1時過ぎ。
永遠に来ないと思われていたその時は、来た。
卒業論文、脱稿。

 

第5週(温故知新、かも?)
卒論を書き上げた別のゼミの友人の家でお好み焼きを食べる。この時ついでに、この友人に半年前に貸しておいたファミコンの本体も返してもらった。

久々に我が家に帰ってきたファミリーコンピュータ。実家から持ってきたカセットは、ゲーム初心者が多い今の学校の友達に合わせて、スーパーマリオ1や3、Drマリオ、アイスクライマー、熱血格闘伝説など、シンプルかつ「みんなでやってこそ楽しい」アクション物や落ちゲーばかり。

久しぶりにRPGでもやりたいな、と思って押入を漁ってたら、自分でも持っていることを忘れていたカセットを発掘。折角なので、ひとまずやってみることにした、そのカセットの名は。

「ダブルムーン伝説」(メサイヤ/RPG、92年発売)
なんか、思いっきりドラクエチックな画面なんですけど…折角バッテリーバックアップもあるし、頑張ってみますか。

 
ちなみに他にも、

「夢幻戦士ヴァリス」(ACT)
「キングコング2 怒りのメガトンパンチ」(ACT)
「迷宮島」(APZL)
「ドラゴンスクロール 蘇りし魔竜」(ARPG)
「ゲゲゲの鬼太郎2 妖怪軍団の挑戦」(RPG)

といった、昔クリアできなかったシロモノが続々。このうち下3本はパスワード方式。久々にやってみたら、パスワードをメモるのが思った以上に面倒臭いことに気づく。これ、いつかクリアできる日は来るのか…?

今日の日記

2002年12月31日
これからやるべきこと:
・帰省準備
6日間に渡る短期バイトも終了。明日の始発電車&高速バスで実家行きです。今年は4泊5日ってとこかな・・・。

 

そういや、いつから
「実家に『行く』」
「実家に『○泊×日』してくる」
なんて言葉を使うようになったんだろう。

故郷とは遠くに在りて思うもの、か。


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